復活顕現2

ペトロの第一の手紙では、キリストに贖われた者は聖なる者となるように勧めています。それは「あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血」によるからです。私たちはキリストを通し真の神を知るようになり、彼を復活させた神こそ希望となるのです。

イザヤ61章ではメシアに仕える者の務めが記されています。1節によると、その方は「貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年と/われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め」る務めを与えます。さらに「彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる」と預言しています。

ヨハネ21章では、キリストの復活の確信が持てずティベリア湖で漁をしていたペトロと弟子たちの元に主が現れたことが記されています。一晩中不漁であったのに、主イエスが舟の右側に網を打てとの指示に従うと大漁になり、慌ててペトロは湖に飛び込みます。岸に上がると食事の用意がされ「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われ、共に食事に与りました。

復活の主に繋がることが人を変えていきます。終りの日には永遠の命を与えられる希望があります。