神からの真理

 

パウロはテモテに「信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、/キリストは肉において現れ、/“霊”において義とされ、/天使たちに見られ、/異邦人の間で宣べ伝えられ、/世界中で信じられ、/栄光のうちに上げられた」と書き送っています。真理はイエス・キリストへの信仰に宿っているのです。

列王記上10章にはシェバの女王がソロモンを訪問した時のことが記されています。ソロモンはシェバの女王が出した難問にすべて解答しましたが、それはソロモンが即位のときに主なる神に、富や寿命でなく、正しく民を裁く知恵を祈り求めたことによります。

マルコ福音書8章22節でベトザイダの人々は「一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った」とあります。人々はソロモンに匹敵する富と国の再興、ローマの圧政からの解放という政治的な期待をして主イエスにしるしを求めました。しかし主イエスは神の国の到来を告げようとしていたのに、人々はそれがわからなかったのです。人々が連れてきた盲人の目を主は開かれ「何でもはっきり見えるようになった」とありますが、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰されました。何が重要なのかは主が救い主という真理によります。

私たちには神の国(支配)が必要なのに、それが見えていないと見当違いの方向へと至ってしまいます。まず神の国と神の義を求めることによって私たちの目が開かれこそ、飢えや渇きが癒されるのです。